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聖歌は生歌

聖歌は生歌

待降節第3主日

《A年》
 19 いのちあるすべてのものは
【解説】
 詩編146は、ここから始まる5つのハレルヤ詩編(146-150)の最初です。この5つの詩編は、冒頭とおしまいに
「ハレルヤ」があることから「ハレルヤ詩編」と呼ばれています。現在も、ユダヤ教の朝の祈りで用いられていますし、
教会の祈りでは、読書課に含まれています。この、詩編146は元来、神殿で唱えられた神への賛美です。「神」が主
語となっている部分の動詞は、すべて分詞「~~するもの」という意味ですが、これは、その動作が現在も継続して
行われていることを表しています。つまり、分詞で表されている「まことを示し」「裁きを行い」「かてを恵み」「解放され
る」「目を開き」「愛される」という神のわざは、現在も神が継続して行われているのです。また《同義的並行法》を用い
ることで、それらの内容が、さらに強調されています。
 答唱句は、冒頭、オルガンが主音Es(ミ♭)だけ、八分音符一拍早く始まります。二小節目の「すべてのもの」では
「地にあるすべてのもの」を象徴するように、旋律の「すべての」でC(ド)、バスの「すべての」でG(ソ)と、それぞれ、
最低音が用いられています。また、アルトの「すべての」では、ナチュラルでH(シ)が歌われ、それが強調されていま
す。なお、二小節目の冒頭は、他の声部では八分休符になっていますが、バスだけは、一拍早く始まり、文章の継
続を表しています。後半では、旋律もバスも、ほぼ、1オクターヴ上昇し、特に、Last では、旋律が最高音Es(ミ♭)
まで上がり、力強く「神をたたえよ」(原文では「主を賛美せよ」)と呼びかけます。
 詩編唱は、前半、G(ソ)-As(ラ♭)-F(ファ)-G(ソ)と動きが少なくなっていますが、後半の三小節目では、最
後に八分音符で旋律が上昇し、さらに、四小節目で最高音C(ド)にまで、高まり、バスのB(シ♭)との開きも2オクタ
ーヴ+3度に広がり、「神をたたえよ」という呼びかけが力強く歌われます。
【祈りの注意】
 答唱句の前半、一小節目と二小節目、旋律では、八分休符が冒頭にあり、下降→上昇の動きが繰り返されます。
八分休符は、ことばのアルシスを生かすだけではなく、旋律の動きも生かすものです。二回目の八分休符があるとこ
ろも、バスだけ、早く、一拍早く出て文章を継続させています。混声四部でない場合でも、オルガンの伴奏が、それを
表していますから、二小節目の八分休符で文章の継続も、祈りの精神も切れることのないようにしましょう。
 前半の終わり「すべてのものは」の後では、一瞬で息を吸いますが、そのためには、「のー」でわずかに rit. しま
す。できるだけ分からない程度にしましょう。これは、非常に難しいかもしれませんが、何回も練習することで、だんだ
んとできるようになってきます。後半の、上行音階では、「すべてのもの」に呼びかけますから、力強く cresc. します
が、ここで、気をつけなければならないのが、間延びすることと、rit. の違いです。rit. の場合は、「神を」で元のテン
ポに戻りますが、間延びした場合は、前のテンポのままか、さらに遅いテンポになっています。この違いがはっきり分
かり、元のテンポで始められるかどうかが、ことばにふさわしい、祈りの歌にできるかどうかの分かれ目になります。
 待降節第三主日、別名「喜びの主日」とも呼ばれます。入祭唱では「主にあっていつも喜べ。重ねて言う、喜べ」
(フィリピ4:4-5)と歌われ、第一朗読でも福音朗読でも、主の到来によって行われるいやしのわざで、多くの人々
が、喜び踊るようになることが、語られます。とはいえ、この、いわゆる「奇跡」は、力ずくで人を信じさせるものではな
く、神がともにいて、力あるわざを行われることのしるしです。このような、人間の力にでは回復不可能なことができな
ければ、神ではない、というのは、神のわざの本質を見失うことになります。このような、力あるわざを一つのしるしと
して行われた、イエスの到来は、神の国の到来をあかしするものなのです。今日の第一朗読~答唱詩編~福音朗
読で語られる力ある神のわざを信じるわたしたちは、アレルヤ唱にあるように、イエスの到来によって始まった、神の
国の到来を告げ知らせるために、神が選んでくださったことを、いつも、忘れずに、多くの人々に、この、喜びを伝えて
ゆきたいものです。
【オルガン】
 答唱句のことばからも、待降節第3主日(ガウデーテ=喜びの主日)という典礼暦の性格からも、明るい、そして、
やや力強い伴奏が望まれるかもしれません。しかし、それは、派手、華美でないことは、おわかりになるでしょう。冒
頭の、八分休符の部分、オルガンの伴奏だけの部分を、まず、しっかりと弾き、次の「いのちある」を祈りにふさわし
いテンポにしましょう。次の「すべての」も、同様です。後半の「神をたたえよ」の、上行が遅れないようにすることも大
切です。「いのちあーる」「すべてのものーは」「かみーを」の八分音符二拍が連鉤になって、ことばを延ばすところは、
きちんと八分音符の粒をそろえるようにしましょう。
 詩編唱も第三小節で、同じ、音型が出てきますから、ここも注意点です。その他の小節も、音が変わるところを間違
わないように、練習の段階で、何回も、歌いながら確認しましょう。
 
《B年》
 179 わたしは神をあがめ(2)
【解説】
 今日の答唱詩編で歌われる「わたしは神をあがめ」は、有名なマグニフィカト(Magnificat)=マリアの賛歌です。主
日に歌われる答唱詩編としては、唯一、新約聖書の賛歌が歌われます。この賛歌については、さまざまなところで、
解説もされていますので、多くは、説明を要しないかもしれませんが、ひとつだけ、知っておきたいことがあります。そ
れは、この、聖母マリアが歌った賛歌は、旧約聖書の思想、表現を集約して創作されていて、とりわけ、サムエル記
上2章の1-10節にある「ハンナの歌」に似ていると言われていることです。このことは何を意味しているのでしょう
か。それは、聖母マリアが聖書(この時代は旧約聖書しかありませんでした)によく親しんでいて、自分の祈りを創作
するくらい、聖書をよく知っていた、ということです。
 ベネディクト十六世も『啓示憲章』40周年を記念した国際会議への参加者にあてたメッセージの中で、「霊的生活」
を豊かにするために「聖なる読書」を奨励されています。教会の母である聖母マリアの模範はいろいろとありますが、
「聖書に親しみ、聖書を深めること」こそ、マリアの最高の模範であり、わたしたちもそれに倣う必要があるのです。
 この賛歌の旋律は、答唱句の部分も「マリアの歌」の本文を歌う部分も、どちらも、「晩の祈り」で使われている旋律
の音の範囲内で動いています。答唱句の最低音C(ド)は「晩の祈り」の第一唱和の最低音であり、また、「寝る前の
祈り」の最低音にもなっています。本文の部分は、共同祈願以降の基音G(ソ)を中心にしていますが、その動きが
「朝の祈り」で歌われる「ザカリアの歌」とは反対になっていて、「教会の祈り」全体の構成を考えて作られていること
がわかります。
 これらの詳細については、「教会の祈り」の「福音の歌」のページをご覧ください。
【祈りの注意】
 まず、技術的なことですが、普段の答唱詩編と異なり、答唱句が2つあり、さらに、答唱句を繰り返すところが、3節
の後・6節の後・最後の栄唱の後となっています。オルガニストと会衆の皆さんは、答唱句を歌うところを忘れないよう
にして、しっかりと入るようにしてください。答唱詩編は、その名の通り、答唱と詩編を会衆と先唱者がバトンを渡しな
がら祈り、黙想するものです。この、バトンの受け渡しがスムースに行われ、祈りが神の元へ、途切れずに流れるよう
にしたいものです。
 この「マリアの歌」を歌う先唱の方は、まさに、聖母マリアになりきって歌ってください。第一朗読で読まれる「イザヤ
の預言」は、イエスがナザレの会堂で安息日の礼拝で読まれた後、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳に
したとき、実現した」(ルカ4:21)と言われた箇所で、まさに、イエス御自身がこの預言のことばを実現する方として
来られたことを表しています。「マリアの歌」は、この預言の実現をさらに預言するものと言えるでしょう。それはまた、
聖母マリアが、この預言の実現であるイエスを先取り(預言)するお方でもあるからです。
 そして、もう一人、この預言を先取りするものが洗礼者ヨハネであり、今日の福音でその使命が語られているので
す。
【オルガン】
 答唱の部分は、『典礼聖歌』における音楽類型上では、いわゆる「プサルモディア形式」の範疇に入ります。前奏の
祭には、答唱句全体を実際に歌う速さと同じ長さで弾くようにしましょう。この場合は、ソプラノを刻まないほうが祈り
にふさわしい前奏になります。
 ストップは、答唱部分、マリアの歌の本分の部分ともに、明るめのフルート系がよいでしょう。先唱者が歌う部分は、
マリアの賛歌として高らかに歌われるので、場合によっては、フルート系の4’を入れて、Swell を適宜閉めてもよい
かもしれません。
 先唱者の方が、聖母マリアになりきって歌うことが必要なように、オルガンの伴奏は、今、マリアさまが目の前にい
て、それを支えているようになるとすばらしいと思います。

【C年】
 164 喜びに心をはずませ
【解説】
 答唱句もここから取られているイザヤ書の12章の3節は、有名なフォークダンス「マイム・マイム」(マイーム・ベサソ
ン=喜びをもって水を)の元となった箇所です。イザヤの12章は、ユダとエルサレムに関する預言の最後の部分で
す。11:11-16で、出エジプトの出来事が思い起こされ、12:1-6の救いに感謝する歌の導入となっています。さ
らに、この12:1-6は、出エジプト記の「海の歌」(15:1-1)にある、神が「住まいとして自ら造られた所、御手に
よって建てられた聖所」(15:17)の成就となっています。
 答唱句は八分音符や十六分音符などの細かい音符を多く用いて、大きな喜びを持って歌われます。「よろびに」
は、各音節が異なる音価で歌われ、旋律も一気に最高音C(ド)に上昇し、喜びの心を高めています。「こころ」と「すく
い」は付点八分音符+十六分音符のリズムで、これらにはさまれた動詞「はずませ」の心の動きを促し、「はずませ」
の旋律はA(ラ)とG(ソ)を反復し、バス(太字)ではH(シ)=を用いて転調することで、ことばを生かしています。
 「すくい」では、旋律が6度跳躍し、キリストによる尽きることのない泉に象徴される神の救いの豊かさ(ヨハネ4:7
-15)が表されています。最後は、旋律が低音部で歌われ、この尽きることのない泉から水を汲む、わたしたちの姿
勢が暗示されます。
 詩編唱は、数少ない2小節からなるものの一つで、旋律も和音も複雑ではありませんが、逆にそれが、歌われるこ
とばの多さを生かすもの、となっています。
 今日のこの答唱詩編は、復活徹夜祭の第五朗読の後の答唱詩編と同じです(ただし、復活徹夜祭では、詩編の4
節は歌われません)。この第五朗読は、洗礼の恵みを表すもので、第五朗読が読まれなかった場合で、洗礼式があ
る場合には、第七朗読のあとにこの答唱詩編を歌うように勧められています。それほど、この答唱詩編は、洗礼の恵
みを先取りするものとされています。
 今日の福音朗読でも、洗礼者ヨハネによる、洗礼の場面が朗読されます。わたしたちも、福音と救い主を受け入れ
る「しるし」として、洗礼を受けました。今日の答唱詩編と福音朗読を味わいながら、救い主の到来の準備と自らの洗
礼の時の決意も思い起こしたいものです。
【祈りの注意】
 答唱句は、十六分音符の活き活きした動きを生かして歌いましょう。「はずませ」のA(ラ)とG(ソ)を反復は、ややマ
ルカート気味にするとよいかもしれませんが、はっきりしたマルカートではやりすぎですので、そこまでにはならない程
度にします。「はずませ」のあとは、息をしますので、この前で、ほんのわずかですが rit. し、「せ」の八分音符は、テ
ージスの休息を生かし、そっと置くように歌います。そして、その八分音符の中で、すばやく息を吸って、先を続けま
す。「神の み旨を行うことは」「神よ あなたはわたしのちから」などの答唱句も同様です。最後は、「救いの泉から水
を汲」んでいるように、静かに rit. してゆき、落ち着いて終わりましょう。特に、最後の答唱句は、この rit. をより豊
かにすることで、品位ある歌い方になります。
 詩編唱は洗礼によって与えられる、救いの喜びを思い起こしながら先唱してください。詩編唱の1節、および2節と3
節の2小節目は、音節(ことば)が多いので、早めに歌います。そうしないと、答唱句とのバランスが取れないからで
す。なお、「民に伝え」の後で、息継ぎをしてもよいでしょう。その場合、「民に」くらいから rit. して、一瞬で息をし、
「その名」に入ったらすぐにもとの速さに戻します。

1節は、神の救いに信頼した、確固とした決意を持って
2節と3節はその救いを世界に伝えることを、すべての神の民に呼びかけるように
4節は、救い主を遣わしてくださった神の偉大さを心からたたえて

歌いましょう。何回も書きますが、詩編を歌う方、また、オルガンを弾く方は、復活徹夜祭の第五朗読も味わうと、祈り
がより深まるのではないかと思います。
【オルガン】
 上にも書いたように、復活徹夜祭の第五朗読も味わって見ましょう。そして、今までに、経験した、洗礼式も想い起
こしましょう。洗礼の、救いの出来事に結ばれる喜びを、自分のものとすることが、この答唱句の前提になるのではな
いでしょうか。それはまた、単に、過去の洗礼だけではなく、洗礼を受けて、主の道を歩むことのできる、今の喜びも
含まれると思います。
 同じ答唱句、同じイザヤの預言の箇所でも、今日は、待降節ですので、やや、控えめな音色がよいかもしれませ
ん。フルート系の8’+4’で十分でしょうか。もし、2’(やはりフルート系)を加えるとしたら、最後の答唱句だけにする
のがよいと思います。前奏も、会衆が歌うときも、活き活きと、喜びを表すような前奏、伴奏を心がけましょう。


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